好景気の絶頂期バブル景気とは

sdsdf8 景気の動向は上昇と下落を繰り返していますが、その中でも好景気では絶頂期が訪れ、1980年代の終わり頃から1990年代の初めにかけて「バブル景気」と言われた時代がありました。日本はこの時期バブルの波に乗り物価が上昇しましたが、本来ならば誰もが買い控えをするところですが、この時期の多くの消費者もバブル景気より収入も増加していたので、多少値段が高くても購買意欲を削がれる事がありませんでした。

購買意欲の上昇は更なる消費の拡大に繋がり、結果的に世の中に多くのお金が回り好景気に拍車を掛けて行ったのでした。結果的に企業が作る物はどんどん売れ、サービスを利用する人が増えた事でも様々な業種においても経営が良好となり、中には社員数の少ない企業では需要に応える事ができずに「人手不足」が原因で倒産に追い込まれる企業もあったようです。

そのような事で起業は人材の確保にも積極的に乗り出す事となりました。それによって労働に対する評価が上がった事により社員の給料も増加して行きました。この頃の就職戦線とは完全な売り手市場であり、就職を希望する人は1人に対して数社の求人があるという絶好の求人環境にあったのです。

人々が楽に好条件の企業に就職をする事ができていたこの時代は、勿論給料も高かったので消費意欲も上がり、企業は経営が順調に進む事になります。そしてまた更に給料が上がり、消費意欲も更に上がる事となります。高調の波はそれらのループを作り上げる事により、更に大きな円周を形成して行きました。

また土地の価格も高騰し、「地上げ屋」や「土地転がし」という言葉がその頃には流行語のようにさえなったほどでした。そして銀行は企業や個人にどんどんとお金を貸すようになりました。好景気により貸したら貸した分の利息を沢山得る事ができていた事や、貸し倒れのリスクが少ないと判断出来たのもその理由となっていたのでしょう。

このバブルを生み出したきっかけとは一体何だったのでしょうか。バブル景気のそもそもの始まりとは1985年に行われた「プラザ合意」であるようです。当時、先進国である5カ国は為替レートについてある合意をしました。それはアメリカの言わば「ドル安政策」でした。ドルの価値を下げて円の価値を高騰させる事で貿易赤字を解消しようと考えたのです。

このアメリカの政策は効果テキメンとなりました。合意の翌日には一気に為替が変動し1ドルの価値も20円という大幅な値下がりとなりました。通常これだけの急激なドル安は円高となった日本の経済に大きな影響を与えてしまいます。

しかし、このアメリカの対策により日本もそれに対応するべく政策を打ち出しました。それは「低金利化」でした。特に輸出に頼る大企業は円高により大打撃を受ける事になりますが、その際に企業が気軽に銀行などからお金を借りる事ができるように、金利をぐっと下げる事にしました。この低金利を歓迎したのは輸出に頼る企業ばかりでなく投資家も同様でした。低金利でお金を借りる事ができるようになった事で、投資家は銀行からお金を借りて株式投資や土地への投資を行いました。株式の取引数も増え企業はそれにより資産状況も潤う事で更に給料に利益を還元する事ができるようになりました。

この頃は多くの人が富を手に入れて行きました。その後の崩壊をその時は多くの人が予想する事は困難な程、ずっとこの景気は続いて行くのではないかと思える程の絶頂期であったと言えます。